写真のチカラ
以前、エプソンのカラーイメージングコンテストに応募しようとして写真作品をブックにまとめていたとき、甲斐くんに「今の流れは点数を多くして、塊としての作品群を見せる傾向にあるから、もっと点数を増やした方がいい」と指摘され、100点以上を目標に作品点数を増やしていった事がある。その時は、デジタルカメラの普及により作品を量産できるようになった事が、その流れを作ったのだなと思って勝手に納得していた。
ところが今日、作品群としての「写真のチカラ」を思い知らされる展示会を観る機会に恵まれた。
南城市の農村環境改善センターで開催されたその展示会は、1950年頃のアマチュア(というよりごく普通の人)が撮った沖縄の写真を約500点集めたものだった。多くは沖縄に駐留していたアメリカ兵が撮影した写真で、そこに写っている人々の多くはもうこの世にいない。小さな子供たちですら、生きていれば60代になっているはずだ。沖縄戦の激戦地だったシュガーローフやチョコレートドロップの写真、軽便鉄道の跡、掘っ立て小屋のような貧しい家々。
1950年に中学校を卒業したというオバアが、ずっと写真を指さしながら丹念に観ている姿が印象的だった。オバアは写真について問わず語りにいろいろな話をしてくれたのだけれど、その多くは歴史の流れとは無縁の日常にまつわるものだった。昔の茅葺きの家は台風で飛ばされないように、屋根に竹で補強をしていたとか…。あるいは、駐留軍の米兵は戦後になって家族を呼び寄せたのだろうかとか…。
丹念に丹念に、人差し指で写真を追いかけていくオバアの後ろ姿を観て、「これこそが写真のチカラだ」と、ふと思った。
残念ながら写真はビジュアルアートの中でもっとも地位が低い。複製可能性や撮影機材の介在が写真の地位を低くしてきたのだと思うが、しかし写真の持つ力は、この局面では絵画を遙かに上回っていたと思う。写真は歴史を記録することができるからだ。そしてその時にこそ、塊としての写真のチカラは人を動かす。オバアは憑かれたように写真を追いかけ、そこに歴史(たぶん、自分自身の歴史であって国や世界の歴史とは違う)を見ていたように思う。そして、大量の断片によって歴史を再現するという事は絵画にはできず、写真にのみ与えられた力だと思う。
この展覧会は、5月10~18日にふたたび開催される。
展示内容を少し変更して、会場を中城村の吉の浦公園に移して開催されるそうだ。
沖縄に引っ越して以来イチオシの展示会なので、興味のある人にはぜひともおすすめしたい。
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